2016年2月18日に「Watson API」日本語版が発表されてから、1年以上が経過。「IBM Watson(以下、Watson)」テクノロジーを駆使したコグニティブ・ビジネスは、すでにさまざまな業界で活用され、日本だけでも進行しているプロジェクトは150を超えています。その可能性は計り知れず、今後のビジネスで勝ち抜くために、コグニティブは必要不可欠であることに異論はないでしょう。

一方で昨今の過熱気味なブームを背景に、AIについて多くの誤解が生まれていることも否定できません。そもそも「AIとは何か?」と尋ねれば、その回答は人によってバラバラであり、現状、明確な定義は存在していません。

昨年のインタビューに引き続き、「大きな可能性を秘めるコグニティブに関して、その有用性と成功の秘訣を知ってもらい、日本企業が今後、世界で戦うために有効に活用して欲しい」と語る日本IBM 中山裕之に、AIの理想と現実、そしてコグニティブ・ビジネスについて話を聞きました。

時代を大きく変える可能性を秘めるコグニティブ


──昨年2月のWatson発表から、この1年を振り返っていただけますか?

2016年2月18日に、Watson API日本語版を発表しました。それを受け、4月1日にグローバル・ビジネス・サービス事業本部にコグニティブ推進室が発足し、あっという間の1年でした。

この業界で仕事をして約25年が経とうとしていますが、今回のコグニティブ・テクノロジーは、時代を大きく変えるだけの可能性を秘めており、そのインパクトは、人々の働き方に大きな影響を与えた携帯電話、電子メール、インターネットに匹敵すると言っても過言ではありません。現在、国内で進行中のプロジェクトは既に約15件を数えますが、実際に稼働まで至った事例も、プレス発表したものだけで10件以上に上ります。

一方で、懸念点も浮き彫りになってきました。AIが多くのメディアで取り上げられて注目を集める反面、「AIが人間の仕事を奪ってしまう」「人間を支配する」といった過剰な脅しや、「聞けば何でも答えてくれる魔法の玉手箱」といった過度な期待も広がっています。人々がAIという言葉で思い描く理想と、現実には少なからずの差異があります。今後、悪い意味で失望を生んでしまわないかと危惧しています。

そもそも、AIの定義自体が人によって異なり、曖昧です。日々、お客様と会話するときに「一旦、AIというイメージと言葉を忘れていただけますか?」と冒頭に申し上げるケースが少なくありません(笑)。そんな状況の中、IBMはあくまでも「人間をサポートし、より豊かな社会を創造する」テクノロジーとして、Watsonを位置づけています。

77% vs 11%

コグニティブ・コンピューティングの導入状況で分かる、好業績企業と低業績企業の差


──では、どのような事例があるのか教えてもらえますか?

こちらの動画をご覧ください。

こちらは、家庭用のペンキや自動車用塗料などを扱っている1866年創業の米国老舗塗装メーカー「Sherwin-Williams社」のColorSnap®というアプリです。

アメリカでは、父親が家の壁やドアを自分で塗り替えることが多いのですが、一番の悩みは「塗った後にイメージしていた色と違う色になってしまった」ということです。そんな悩みを解決するため、アプリに膨大な色彩パターンのパレットを用意し、顧客がスマホで身近にある「イメージに近い色のもの」を撮影すると、Watsonが最も近い色を探してくれて、そのまま発注することができます。

上記の動画では、おやつに出てきたマカロンの色と同じ色で壁が塗れ、塗る前と塗った後のイメージに相違がなかったという事例を紹介しています。ちょっとしたアイデアかもしれませんが、新たな顧客体験を提供したと言っていいでしょう。ちなみに、同社の株価は5年前に比べて約3倍にまで成長しています。

──顧客体験を高めることが、企業業績にもつながっているのですね。

重要なのは、このアプリを構築したのが新興のベンチャーではなく、創業150年の老舗メーカーという点です。「世の中のデジタル化の進展」を背景に、今や電気の通っていない地域の人々でも携帯電話を持つ時代になり、企業と顧客との距離は一気に縮まりました。企業が自社のファンをつくらなければ生き残れない時代において、顧客の視点に立って思案し、新たな顧客体験を提供したという点がポイントではないでしょうか。

匠の技をWatsonが未来に継承


──日本国内でも多くのプロジェクトが進行中とのことですが、注目すべき事例を教えてもらえますか?

大塚デジタルヘルス様の事例が参考になるかもしれません。

昨年6月に大塚製薬様と日本IBMが共同で大塚デジタルヘルス株式会社を設立し、精神科医療に従事する方々の支援を開始しました。

昨今、社会問題にもなっていますが、残念ながら精神科医療の患者数は増加傾向にあります。一方、診察においては精神科医療に従事する方々の経験が重要な要素となっています。熟練の精神科医であれば、カルテから患者の状況や治療方法に関し、過去の経験を基に診療することが可能です。しかし、若手医師は経験が少なく、熟練医師と同様のサービスを提供することが難しい状況にありました。

そこで、熟練医師のノウハウをWatsonに教え込んだのが、今回のプロジェクトです。具体的には、Watsonが2000万件にも及ぶ電子カルテのデータを読み込み、熟練の精神科医がどこに着目しているかを学習させました。Watsonは目の前にいる患者のデータ、問診から得られた表情や話の内容といった事象から得られたデータを基に、過去の類似ケースを検索し「過去、同様のケースではどんな診療をして、どんな結果だったか」という事実を教えてくれます。Watsonのサポートにより、若手の医師でも、熟練医師の経験や判断を参考に、患者へ適切な医療サービスが提供できるようになりました。これは、自然言語という非構造化データを理解するコグニティブの特性を活かした結果、新たな価値が提供できたケースです。

──ベテランのスキル継承、ノウハウの継承という意味では、医療現場以外にも応用が可能でしょうか?

可能だと思いますし、今後、最もニーズが出てくる領域だと確信しています。金融機関のコールセンターでもWatsonを活用いただいていますが、「若手の教育期間が圧倒的に短くなった」という成果が出ています。これは、まさしくWatsonがベテランのスキルを継承し、それを若手に伝えていくという典型的な例と言えるでしょう。

特に日本においては、労働人口の減少という遭遇したことのない時代がすぐそこに迫っています。ベテランや匠の技をいかに未来に継承するかが、日本企業にとっての最重要課題の1つになるでしょう。そのため、「匠の技」をデータ化することが必要なのですが、正直申し上げると、有用なデータがなかなか揃えられないのが現状です。今後、「いかにデータを生成するか」が最大のチャレンジだと考えています。

──コグニティブの世界ではデータが重要なのですね?

コグニティブの世界では、データがガソリンでありエンジンであると言っても過言ではないほど、データは重要です。コグニティブの世界では膨大なデータから仮説や推論を導き出す「帰納法的」なアプローチをとるため、過去のデータが少ない場合、意味のある洞察を出すことが難しいのです。

もう少し、わかりやすく説明すると、法律の世界であれば、Watsonは六法全書や各種法令を読み込んで学習するのではなく、判例集を参照し「どういう場合にどういった結果になったのか」という事実を読み込むことによって賢くなります。このように、コグニティブの世界では「過去の正解例」が重要です。「学習」と聞くと、教科書や参考書を読んで賢くなるイメージがありますが、それは大きな誤解です。

──では、あらためて、1年が経過してコグニティブについて感じることはどんなことですか?

やはり、その注目の大きさですね。皆さんコグニティブに関して高い関心をお持ちいただいており、我々としてもその期待の大きさには身の引き締まる思いです。

一方で、お客様からのお問合せで最も多いのが、「Watsonは何ができるのですか?」という技術的な質問でした。データさえ整っていれば、Watsonでかなり高度なことでも実現可能です。もちろん、技術的に何ができるかを知ることは重要ですが、それより重要なのは「誰が何のために使うのか?」という活用シーン、目的、そしてそれに伴う効果です。私はコグニティブを使って、「企業にとってのお客様、また、そこで働く方々に新たな体験や感動を与えたい」と考えています。

──活用、目的、効果が語られていないということですが、中山さんはそもそもコグニティブの優位性についてどう考えていますか?

まず、コグニティブはどういうものかを説明させてください。コグニティブの優位性と特徴は、大きく2点挙げられます。

1点目は、従来のコンピューティングでは理解することができなかった、自然言語、画像、音声などの非構造化データを理解することが可能なことです。昨今のデジタル化の加速に伴い、デジタル空間には膨大なデータが溢れ、その約9割が従来のコンピューティングでは理解できない非構造化データです。これら非構造化データを構造化データに変換することにより、検索、分析することが可能になります。

そして、2点目は膨大な過去のデータから仮設を構築し、類推することが可能になり、その結果に基づいた学習を行う点です。従来のコンピューティングが演繹的なアプローチであったのに対して、コグニティブの世界は、帰納法的なアプローチである、つまりアプローチが180度違うのです。

よく考えてみると、我々人間の行動や判断は論理的というよりむしろ過去の経験が基になっていることが多く、その経験を通じて人間もより賢くなっていきます。コグニティブの世界では、より人間に近い行動・判断をコンピューターが行えるようになりました。

このような背景により、IBMではAIを「Artificial Intelligence」(人工知能)ではなく、「Augmented Intelligence(拡張知能)」と呼んでおり、人間の生活や仕事をより豊かなものにする存在として考えています。

100点を目指さず、適切な目標値の設定が肝要


──「正解データ」を用意することが重要なことだと理解しましたが、その他に成功の秘訣としては何があげられますか?

先ほども申し上げましたが、コグニティブの本質が事実から正解を導き出すという帰納法的アプローチにあるので、実は100点の正解を導き出すのは難しい。この点も、非常に重要なポイントです。

──なるほど。それは、なぜでしょうか?

一言で言ってしまえば「世の中に起きていることをすべて論理的に解釈することは不可能で、人間の会話も曖昧なことが多い」からです。例えば、「日本の首都はどこですか?」と聞かれたら、ほとんどの人が「東京」と回答するでしょう。しかし、もしこれが日本史の授業中であれば、回答が異なるのです。時代によって首都は異なり、平安京や平城京が正解になる可能性もあります。このように、人間は「勝手に」前提を置くことによって、正解を導き出すケースが非常に多いんです。生真面目なWatsonは、まだそこまで気が回らず、前提を教えなければ、正しい解答を導き出すのは困難です。

そのため、具体的なプロジェクトにおいては、まずは70点程度の正答率を目指し、その後、正答率を徐々に上げていくのが現実的なアプローチになります。

──企業がそうした特性を理解し、プロジェクトを進めることが重要でしょうか?

そうですね。正しく現状をご理解いただければ、コグニティブを活用できると確信しています。まだまだ活用されていないデータは、企業の内外に眠っています。これらのデータに光を当て、経営に活かせる「インテリジェンス」に昇華させれば、昨今の厳しい経営環境においても、まだまだ成長の余地があるはずです。

過剰な期待や過剰な脅しは不要。コグニティブ・ビジネスは実践編に突入


──今後のコグニティブ・ビジネスの展望について聞かせてください。

今後、コグニティブを正しく加速させるために、IBMではコグニティブに関して定期的にお客様の声を伺い、調査レポートとして提供しています。昨年の秋に行った調査では、40カ国以上、6,050人以上の経営者層にコグニティブに関する意識調査を実施し、日本からは605名の方に参加いただきました。

そこでコグニティブ・コンピューティングの導入状況について聞いてみたところ、グローバルでは高業績企業の46%が「既にコグニティブ・コンピューティングのプロジェクトが開始されている」と回答しました。一方、低業績企業は、11%に留まっています。

高業績企業の46%が既にプロジェクトを開始している一方、低業績企業は11%にとどまっている

一方、日本では、高業績企業の77%が「既にプロジェクトを開始している」と回答しており、低業績企業が11%に留まっている状況と比べると、両者の間にグローバルよりも大きな差が開いている事実が浮かび上がりました。

高業績企業の77%が既にプロジェクトを開始している一方、低業績企業は11%にとどまっている

つまり、日本の高業績企業は、グローバルに比べてイノベーション創出に対する危機感を持ち、新しいものに果敢にチャレンジしているということが高いと読み取ることができます。今後、危機感を持たず、チャレンジ精神のない企業との差は、大きく開いていくかもしれません。

──では、コグニティブ・ビジネス推進において、企業のトップとして大事なことはどんなことですか?

まずは、人工知能に関する幻想から脱却いただくことですね(笑)。現在の技術では、AIが人間を駆逐することもないですし、逆に何でもできる魔法の玉手箱でもありません。前述してきたように、種も仕掛もあるのが現状です。経営には勘と経験と度胸が必要だと言われますが、今回のコグニティブでは勘と経験と度胸を科学的な裏づけでサポートし、優秀な方々の「勘」をより研ぎ澄ますことが可能になると考えています。

まだまだ発展途上の技術ですので、トップ自らに陣頭指揮を執っていただき、その可能性を見極めながら、共にプロジェクトを進めていきたいです。

──最後に、IBMとしてどんなサポートができますか?

この1年、さまざまなプロジェクトを通じて経験、ノウハウを積んできた自負はあるので、どうすればプロジェクトを成功に近づけることができるか、実体験に基づいたアドバイスが可能です。

また、非構造化データを活用し、帰納法的アプローチを採用することにより、従来は人間の左脳を支援することがメインだったコンピューターが、人間の右脳も支援することができるようになったと言えるかもしれません。これらのインパクトは想像以上に大きいもので、うまく活用いただいた企業が、今後の競争を勝ち抜くだろうと確信しています。

IBMとしても更に経験を通じて皆様のお役に立てるよう努力していきますので、お気軽にご相談いただき、ぜひ、コグニティブ・テクノロジーを最大限に活用いただきたいと考えています。

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中山 裕之

日本アイ・ビー・エム株式会社 グローバル・ビジネス・サービス事業 コグニティブ・ビジネス推進室長パートナー

プライスウォーターハウスクーパース(PwC)にコンサルタントとして入社し、その後IBMによるPwCコンサルティング買収により日本IBMコンサルティング事業部門に参画。現在に至るまで20年以上のコンサルタント経験を有する。流通、製造、金融、公共など幅広い業界で、その時代の最新テクノロジーを駆使した業務改革に成功。現在は、コグニティブ・ビジネスの立ち上げを牽引している。

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